〜〜〜 2003年 闘病記 〜〜〜
<その1 頭痛・・複視・・病名は?>
目覚めて瞼を開けるとき「正常に見える奇蹟は起こっていないだろうか」と、何度思ったことだろう。
10万人に2〜3人と言われている病気「トロザ・ハント症候群」「有痛性眼筋麻痺」との闘い。
病気になってあらためて知った「健康のありがたさ」「家族の愛」「友人の愛」「思いやりの心」・・・
その2 入院治療 その3 退院・・完全回復へ

3月17日
(月)
仕事中、頭痛が始まった。それほど激しい痛みでもなく、よくあることなので通常どおり勤務。
松山の大学に行ってる娘が帰ってきてて、夕食は隣町に行って外食の予定。
仕事から家に帰っても頭痛が治まらないのでちょっとだけ躊躇したが、予定どおり隣町で外食。
いつもどおり一晩寝たら頭痛も治まってるだろう・・堪えられない痛みでもないので頭痛薬も服用せず就寝。
3月18日
(火)
いつもの頭痛は一晩寝たら治ってたのに・・今回のは朝になっても残ってる。
多少の不安はあったが、通常どおり勤務。 頭痛は耐えられない痛みではないがずっとある。
娘を松山に送っていく・・夜半に帰宅。 今日も堪えられない痛みではないので頭痛薬も服用せず就寝。
3月19日

3月27日
この間、だんだんと頭痛が激しくなり市販の頭痛薬を服用しながらの生活。
病院に早く行かなければと思いつつも、元来の病院嫌いに加え、仕事の方もシステム変更等で多忙。
鎮痛薬無しでは夜も寝られない状態に・・もう病院に行くしかない・・
頭痛・・絶対何かヤバイ病気だろうな?・・・でも、心の何処かには自然治癒を期待してる。
3月28日
(金)
朝起きて「寝起きの一服」に外へ出て自分自身でビックリ!!ナント景色が二重に見える!!
出勤日なので仕方なく片目運転で出勤。とりあえず朝の仕事をして片目運転で病院へ・・・
松山以南では一番大きいU病院。とりあえずは脳神経外科で受診。
MRIを撮るが異常は見つからず・・・
MRIでも見つからないような小さな障害が脳にあるのではとの診断。
脳の血管を拡げたり神経をほぐす作用のあるビタミン剤の薬と頭痛薬で当分様子をみることに。
異常が見つからなかったのは良いことだけど・・病名が分からないのは不安。
でも、お医者さんを信じて、しばらくこの療法でやってみるしかない。
3月29日
(土)
二重に見えることによって頭痛に加え吐き気がする。
これでは仕事にならないので、多忙な時期で心苦しいがしばらく休むことにする。
昨日の診断を疑うわけではないが、眼科の診察も受けてみたいので、隣町の眼科医院に行く。
けっこう有名な眼科医院でけっこう待たされて各種の検査・診察。二重に見えること以外は異常なし。
昨日のU病院の診察結果を先生に話すと、とりあえずはその治療を続けてみるしかないとのこと。
おまけに「ひょっとしたら完全には元に戻らないかもしれませんよ」って言われて不安は募る。
もう一つ眼科医院へ行ってみようと思ったが、車に乗ってると吐き気がひどくなり中止する。
3月30日

4月1日
今考えれば病名も分からずの治療なので当たり前であるが、頭痛も吐き気も見え方も何も良くならない。
近くの鍼灸院へ行って針治療もしてみた。血行を良くしたら何か改善するかと、かすかな望みで・・・
頭痛・食べ物を見ると吐き気で食欲は全くなし・見え方の異常・・・
この症状そのものも苦しいものであるが、いろんな不安が極限状態となり精神にも異常?が・・・
頭痛・食べられない・二重の見え方では新聞も本もテレビも見れない、片目では見る気もしない。
病名が分からず、従って何時になったら治るのか、完治できるのかも分からず、不安は募る一方!
胸が苦しくなる。自分はどこで何をしたらいいのかが分からない。涙が出る。・・・・・
「死にたい」とは思わないが「死んだ方が楽だ」とは思う。自殺する人の心が分かったような気がする。
4月2日
(水)
頭痛の鎮痛薬が少なくなったのと、眼科の診察も受けてみたかったのでU病院脳神経外科へ行く。
運の悪いことに(前もって調べておけばよかったことだけど)担当のH先生が不在。
しかし今日診察を受けたZ先生は最低なヤツだ。こいつが自分の担当でなくてよかった。
いくら担当ではないにしても、病気で苦しんでいる患者に向かって「何しに来た」って感じの対応。
仕方なく脳神経外科は主治医の当番日である明日また行くことに・・・
いい顔はされなかったが、眼科への紹介状を書いてもらって眼科で診察を受ける。
やはりはっきりした病名は分からず、この時点では「斜視」「眼精疲労」の病名であったと記憶している。
眼科の主治医となったN先生から「17日にある愛大教授の診察を受けてみますか」って言葉・・
このままではダメだと思って、もっと大きな病院でも行こうかなって思ってたところでもあり
「是非お願いします」ってことで17日の愛大教授の診察に期待することにした。

この病院まで車で行けば1時間足らずで行けるが、頭痛持ちの片目運転では危険なので車は乗れず。
公共交通機関を利用すると時間もお金もたっぷりかかる。目以外の病気だったらと思う。
4月3日
(木)
昨日書いたような事情で今日もU病院、まずは脳神経外科へ。
職場に提出する診断書をお願いすると、「眼科にかかったのなら眼科でもらってくれ」って・・・
主治医に相談せずに勝手に眼科にかかったのが気に入らなかったのか、冷たいH先生の態度であった。
その後、眼科で無理を言って何とか診断書を書いてもらう。
病状はまったく良くならず、おまけに病院の冷たい態度・・心身共にまいってしまう。
夜になって娘が父親の病気を心配して帰ってきてくれた。
病状は相変わらずだけど、娘のお陰で気分はずいぶん楽になった。
4月4日

4月5日
相変わらず鎮痛剤の効果が切れる数時間ごとに襲ってくる耐え難い頭痛。
以前は好きだった食べ物も見るだけで気持ち悪くなる。
それでもこの二日間は一日中娘が家に居るというだけで気分はずいぶん楽であった。
「娘の力は偉大なり」である。
5日の夕方になるとまた「弱虫」が顔を出す。大の男がすっかり弱い男に成り下がっている。
恥ずかしいが、明日には娘が帰って居なくなるって考えると、なぜか泣いてしまう自分が居る。
4月6日
(日)
今日は娘が松山に帰る日。
病気の不安とともに、娘と別れる寂しさに堪えきれず、不覚にも娘の前で涙を見せてしまった。
今考えれば本当に情けない話であるが・・その時は本当に不安に押しつぶされそうな気持ちだった。
その時娘が「私はお父さんと一心同体だから、お父さんが泣いたら私も泣く」って言って泣いた。
こんな娘の優しい言葉を聞いて、なお一層泣いてしまう弱虫の父親が居た。
4月7日

4月16日
この間、家に居ても気分が滅入るだけなので、7日から出勤することにした。
片目運転は恐いが、時間の合うバス便もなく、仕方ないので車通勤をすることとする。
仕事は溜まりに溜まってはいたが、家でイライラしてるよりはずっと気分は楽である。

この間に、ビタミン剤の薬が効いたのか完全ではないが鎮痛剤を服用しなくいい程度に頭痛が治まる。
目の見え方が左半分ではあるが一つに見えるようになってきた。
食欲も少しずつ出てきて、吐き気はほとんどしなくなった。
一見このビタミン剤の服用で病状が回復しているかのように思っていた。

ところが、眼球の動きの麻痺は確実に進行していたのである。
4月17日
(木)
愛媛大学医学部のS教授の診察を受ける。偉い先生なのに患者にとても優しく接してくれた。
検査結果・診察結果から「眼筋麻痺の症状なので脳に必ず何か障害がある」との診断。
もう一度、今度は造影剤を入れてMRIを撮ってみるようにとのこと・・・
脳腫瘍か、脳の動脈瘤の疑いが濃いので開頭手術も覚悟しておくようにとのこと・・・
今日は時間が遅くなってたので、明日造影剤を入れてMRI検査をすることとなった。

頭を割って手術・・想像しただけで恐くなるが、早く病気の原因が分かって治療を始めたいのも確か。
明日は病名が分かってほしい・・・でも恐い。。
4月18日
(金)
MRI検査・・最初は造影剤を入れず約20〜30分。一度中止して造影剤の注射をして約10分。
MRIの写真をまず脳神経外科のH先生が見て、脳腫瘍や動脈瘤ではないと言われ一安心。
素人の自分にはほとんど分からないが、脳と目を繋いでいる神経が通っているところに白く膨れたものが・・
それが神経を圧迫して頭痛や目の障害が出ているとのこと。治療は眼科の方でしてもらうこととなった。
眼科へ移動して・・病名が分かる・・「トロザ・ハント症候群」「有痛性眼筋麻痺」
手術は不要で、「ステロイド」の点滴および服用による治療をすることに・・
早速今日から入院することになったが、仕事の引き継ぎをどうしてもしなければならず、入院初日に外泊。

不幸中の幸いの一日だった・・手術をしなくてよかったこと。病名が分かって本当の治療が始まること。
複視は平均でも治療を始めて2〜3ヶ月かかるらしい・・・長い治療が明日から始まる。
4月19日
(土)
仕事の引き継ぎで職場に行く途中、久しぶりに実家に寄って母親に顔を見せた。
年老いた母にできるだけ心配はかけたくない・・・
いろいろと不安なことはいっぱいあるけど、努めて明るく振る舞って別れた。
3時頃入院。入院は小学校2年生のとき以来。6人部屋・・うまく入院生活ができるのだろうか・・少し不安。

明日からステロイドの点滴治療開始。  その2 入院治療へ つづく